舞踏家や俳優として、強烈な存在感を放ち続けている麿赤兒(まろ・あかじ)さん。暗黒舞踏集団「大駱駝艦」を率いる一方、映画やドラマでは一度見たら忘れられない個性的な役柄を数多く演じています。
そんな麿赤兒さんについて気になるのが、嫁や妻はどんな人物なのかという部分です。特に「ダダ」という不思議な呼び名が知られていますが、芸名なのか、本名なのか、現在も夫婦なのか分かりにくいですよね。
結論からいうと、麿赤兒さんの妻として知られているのは、かつて新宿の文化人たちの間で「ダダ」の愛称で呼ばれていた桃枝さんです。この記事では、桃枝さんの人物像や出会い、別居生活、現在の妻・再婚に関する情報を紹介します。あわせて、息子である映画監督の大森立嗣さん、俳優の大森南朋さんとの家族関係も詳しく見ていきます。
麿赤兒の嫁はダダこと桃枝さん|妻との出会いや別居を解説
麿赤兒さんの嫁については、「ダダとは誰?」「現在も妻なの?」「なぜ別居したの?」という点が特に気になるところです。
ここからは、次の内容を一つずつ紹介していきます。
- 麿赤兒さんの嫁・妻として知られる人物
- 「ダダ」という愛称の由来
- 桃枝さんとの出会いや結婚
- 別居生活と離婚理由
- 現在の妻や再婚に関する情報
麿赤兒の嫁は「ダダ」の愛称で知られた桃枝さん
結論からいうと、麿赤兒さんの嫁として知られているのは、桃枝さんという女性です。
2023年に放送されたNHK『ファミリーヒストリー』の内容を伝えた日刊スポーツでは、大森南朋さんの両親として、父・麿赤兒さんと母・桃枝さんが紹介されています。桃枝さんは、新宿の喫茶店「風月堂」で「ダダ」の愛称で知られていた人物でした。
桃枝さんは芸能活動をしている著名人ではありませんが、当時の新宿ではかなり目立つ存在だったようです。NHK番組の事前紹介でも、「新宿の名物喫茶で女王と呼ばれた女性」「常識にとらわれない生き方を貫いた人物」と説明されています。
一般的には旧姓を含めて「小林桃枝さん」と紹介されることがあります。ただし、主要報道では「母の桃枝さん」と記載されることが多く、詳しいプロフィールはほとんど公表されていません。
麿赤兒さん自身も型にはまらない前衛芸術家として知られています。桃枝さんもまた、当時の常識に縛られない生き方をしていた女性だったと考えると、かなり印象的な夫婦ですよね。
「ダダ」は妻の本名ではなく愛称とバーの名前
「ダダ」は、桃枝さんの本名ではありません。
日刊スポーツによると、桃枝さんは新宿の風月堂で「ダダ」という愛称で知られ、その後は新宿で同じ名前のバーを経営していました。つまり、ダダは桃枝さんを表す呼び名であると同時に、経営していた店の名前でもあったということです。
ダダという言葉からは、既存の芸術や価値観を否定する芸術運動「ダダイズム」を思い浮かべる人も多いでしょう。桃枝さんが「ダダ」と呼ばれるようになった詳しい経緯は、主要報道では明確に説明されていません。
ただ、常識にとらわれない服装や生き方、当時の新宿文化を象徴するような存在感が、この独特な呼び名につながったと紹介されることがあります。
| 項目 | 内容 | 補足 |
|---|---|---|
| 名前 | 桃枝さん | 旧姓を含め小林桃枝さんと紹介されることがある |
| 愛称 | ダダ | 新宿の風月堂で知られていた呼び名 |
| 当時の評判 | 風月堂の女王 | NHK番組の紹介記事で記載 |
| 仕事 | バー経営 | 新宿で「ダダ」という店を経営 |
| 夫 | 麿赤兒さん | 本名は大森宏さん |
| 子供 | 息子2人 | 大森立嗣さん、大森南朋さん |
「麿赤兒の嫁・ダダ」と聞くと、ダダという名前の女性がいるように思えます。しかし実際には、桃枝さんの愛称や店名として使われていた言葉なのです。ここはかなり誤解されやすいポイントですね。
麿赤兒と桃枝さんは新宿の風月堂で出会った
麿赤兒さんと桃枝さんが出会った場所は、東京・新宿にあった喫茶店「風月堂」です。
当時の風月堂は、単にコーヒーを飲むだけの店ではありませんでした。演劇人や芸術家など、多くの文化人が集まる場所として知られ、前衛文化や若者文化を象徴するような存在だったと紹介されています。
麿赤兒さんも若い頃から演劇の世界で活動し、唐十郎さんの「状況劇場」に参加していました。1960年代には舞踏家の土方巽さんにも師事し、演劇と舞踏の両方に深く関わっていきます。
一方の桃枝さんは、風月堂で「女王」と呼ばれるほど存在感のある常連でした。前衛的な表現を追求していた麿赤兒さんと、当時の新宿で自由な生き方を貫いていた桃枝さん。2人が同じ場所で出会ったというのは、どこか映画のような話ですよね。
結婚した正確な年月は、麿赤兒さん本人の公式プロフィールには掲載されていません。NHK『ファミリーヒストリー』の内容をまとめた媒体などでは、1970年ごろに結婚したと紹介されています。
結婚後に息子2人が誕生した
麿赤兒さんと桃枝さんの間には、2人の息子が誕生しています。
長男は映画監督の大森立嗣(おおもり・たつし)さん、次男は俳優の大森南朋(おおもり・なお)さんです。大森立嗣さんは1970年生まれ、大森南朋さんは1972年生まれで、それぞれ映画界や俳優界で活躍しています。
大森南朋さんが生まれた1972年、麿赤兒さんは大駱駝艦を旗揚げしました。大駱駝艦は、日本独自の身体表現である舞踏を国内外へ広めた代表的な舞踏カンパニーです。
家庭にとって大きな出来事が続く一方で、麿赤兒さんにとっても舞踏家としての活動が本格化した時期でした。芸術と家庭の両立が簡単ではなかったことは想像できます。
子供が幼い頃から夫婦は別居していた
大森南朋さんは2025年7月に出演した『徹子の部屋』で、子供の頃から両親が別居していたことを明かしています。
大森南朋さんと兄の大森立嗣さんを育てたのは主に母の桃枝さんで、父の麿赤兒さんが家へ帰ってくるのは年に1回ほどだったそうです。
麿赤兒さんは舞踏の活動に専念し、稽古場に泊まり込むことも多かったといいます。別居中には、高円寺にあった喫茶店で麿赤兒さんと桃枝さん、息子2人が会い、生活費を受け取ることもあったと大森南朋さんが振り返っています。
一般的な父親像とはかなり違いますが、幼い大森南朋さんにとっては、久しぶりに父親に会える機会でもありました。
たまに会った麿赤兒さんが、いきなり息子の頭にかみつくこともあったそうです。桃枝さんはそれを「野生の王国的な育て方」と笑っていたといい、両親ともかなり独特な人物だったことが伝わってきます。
離婚理由は舞踏活動だった?
麿赤兒さんと桃枝さんについては、現在では「元妻」「離婚した」と紹介されることがあります。
ただし、主要なテレビ番組や報道で明確に確認できるのは、息子たちが幼い頃から夫婦が別居していたことです。離婚した正確な時期や、本人たちが語った具体的な離婚理由は公表されていません。
麿赤兒さんが舞踏や演劇にのめり込み、稽古場に泊まることが多かったのは事実として紹介されています。そのため、ネット上では「舞台活動に専念したことが離婚の原因ではないか」と語られることがあります。
とはいえ、夫婦関係には本人たちにしか分からない事情もあります。公開情報から分かるのは、麿赤兒さんが芸術活動を優先する生活を送り、桃枝さんが主に息子2人を育てていたというところまでです。
現在の妻や再婚相手は公表されていない
2026年8月時点で確認できる公式プロフィールや主要報道では、麿赤兒さんの現在の妻や再婚相手の名前は紹介されていません。
麿赤兒さんの所属事務所や大駱駝艦の公式プロフィールには、舞踏家・俳優としての経歴や受賞歴は詳しく掲載されていますが、配偶者に関する記載はありません。
そのため、麿赤兒さんの「嫁」「妻」として広く知られている人物は桃枝さんですが、現在の婚姻状況や再婚の有無については明らかになっていないというのが正確です。
麿赤兒と嫁・桃枝さんの家族|大森立嗣と大森南朋との関係
麿赤兒さんの家族が注目される大きな理由は、息子2人も映画や芸能の世界で活躍しているからです。
ここからは、次の内容を詳しく見ていきます。
- 長男・大森立嗣さんの経歴
- 次男・大森南朋さんの経歴
- 母・桃枝さんと息子たちの関係
- 麿赤兒さんと息子2人の現在
- 小野ゆり子さんとの家族関係
長男は映画監督の大森立嗣
麿赤兒さんの長男は、映画監督の大森立嗣さんです。
大森立嗣さんは1970年9月4日生まれ。2005年の映画『ゲルマニウムの夜』で監督デビューし、『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』『まほろ駅前多田便利軒』『日日是好日』『MOTHER マザー』などを手がけています。
父親と同じ俳優ではなく、作品全体を作り上げる映画監督の道を選んだところが興味深いですよね。
大森立嗣さんの映画に、麿赤兒さんや弟の大森南朋さんが参加することもあります。親子でありながら、それぞれが独立した表現者として同じ作品に関わってきました。
次男は俳優の大森南朋
次男は、俳優の大森南朋さんです。
大森南朋さんは1972年2月19日生まれ。映画『殺し屋1』や『ヴァイブレータ』、NHKドラマ『ハゲタカ』、大河ドラマ『龍馬伝』など、数多くの作品に出演してきました。
大森南朋さんは、父の麿赤兒さんから「フラフラしているなら、うちへ来い」と声をかけられたことをきっかけに、役者の仕事へ入ったと明かしています。父親の生き方をそのまま追ったわけではありませんが、結果として同じ俳優の世界で活躍することになりました。
2022年には、大駱駝艦の創設50周年を記念したインタビューに、麿赤兒さん、大森立嗣さん、大森南朋さんの親子3人がそろって登場しています。幼い頃は一緒に暮らす時間が少なかったものの、大人になってからは表現者同士として関係を築いていることが分かります。
息子2人を育てたのは母・桃枝さん
大森立嗣さんと大森南朋さんを日常的に育てたのは、母の桃枝さんでした。
桃枝さんは新宿でバー「ダダ」を経営しながら、息子2人を育てていたとNHK『ファミリーヒストリー』で紹介されています。
大森南朋さんによると、桃枝さんは勉強をしなくても強く叱るような母親ではなかったそうです。一方で、自由奔放な両親を見て育った大森南朋さんは、「自分はまともに生きたい」と思うようになったと語っています。
かなり個性的な家庭環境ですが、息子2人がそれぞれ自分の表現方法を見つけた背景には、桃枝さんの自由な価値観も影響しているのかもしれません。
小野ゆり子は麿赤兒の妻ではなく息子の嫁
麿赤兒さんの嫁について調べていると、女優の小野ゆり子さんの名前や写真が出てくることがあります。
しかし、小野ゆり子さんは麿赤兒さんの妻ではありません。次男・大森南朋さんの妻で、麿赤兒さんにとっては息子の嫁にあたります。
2025年には、麿赤兒さん、大森南朋さん、小野ゆり子さんの3人がユナイテッドアローズのキャンペーンビジュアルで初共演しました。家族3人が並んだ写真が公開されたため、家族関係が分かりにくく感じられた人もいるかもしれません。
| 人物 | 麿赤兒さんとの関係 | 職業 |
|---|---|---|
| 桃枝さん | 妻として知られる人物 | バー「ダダ」を経営 |
| 大森立嗣さん | 長男 | 映画監督 |
| 大森南朋さん | 次男 | 俳優 |
| 小野ゆり子さん | 次男・大森南朋さんの妻 | 俳優 |
| 大森南朋さんの娘 | 孫 | 名前などは非公表 |
大森南朋さんと小野ゆり子さんの間には娘がいます。つまり、麿赤兒さんには孫がいることになります。
麿赤兒のプロフィール
麿赤兒さんの基本プロフィールも見ておきましょう。
| 項目 | 内容 | 補足 |
|---|---|---|
| 芸名 | 麿赤兒 | 読み方は「まろ・あかじ」 |
| 本名 | 大森宏 | 各種プロフィールで紹介 |
| 生年月日 | 1943年2月23日 | 映画情報サイトなどで記載 |
| 出身 | 奈良県 | 公式プロフィールで記載 |
| 職業 | 舞踏家・俳優・演出家 | 大駱駝艦主宰 |
| 学歴 | 早稲田大学文学部演劇科中退 | 国際交流基金プロフィール |
| 主な経歴 | 状況劇場、大駱駝艦 | 1972年に大駱駝艦を旗揚げ |
| 長男 | 大森立嗣さん | 映画監督 |
| 次男 | 大森南朋さん | 俳優 |
| 妻として知られる人物 | 桃枝さん | 「ダダ」の愛称で知られた |
麿赤兒さんは、1960年代に唐十郎さんの状況劇場へ参加し、舞踏家の土方巽さんに師事しました。1972年には大駱駝艦を旗揚げし、独自の舞踏様式「天賦典式」を国内外へ広めています。
俳優としても映画やドラマへ出演していますが、その表現の土台には長年追求してきた舞踏があります。桃枝さんと出会った新宿文化の空気も、その後の活動や家族の歩みに少なからずつながっていそうです。
麿赤兒の嫁・妻に関するまとめ
- 麿赤兒さんの嫁として知られているのは桃枝さん
- 桃枝さんは「ダダ」という愛称で呼ばれていた
- ダダは桃枝さんが新宿で経営していたバーの名前でもある
- 桃枝さんは新宿の名物喫茶「風月堂」で女王と呼ばれていた
- 麿赤兒さんと桃枝さんも風月堂で出会った
- 夫婦の間には息子が2人いる
- 長男は映画監督の大森立嗣さん
- 次男は俳優の大森南朋さん
- 息子たちが幼い頃から夫婦は別居していた
- 息子2人を主に育てたのは桃枝さん
- 離婚時期や詳しい理由は公表されていない
- 現在の妻や再婚相手に関する公式情報は確認されていない
- 小野ゆり子さんは麿赤兒さんの妻ではなく、大森南朋さんの妻
麿赤兒さんと桃枝さんは、1960年代から70年代の新宿文化を思わせる、かなり個性的な夫婦でした。家庭の形は一般的なものとは異なりましたが、2人の息子は映画監督と俳優になり、それぞれ独自の表現を追求しています。
麿赤兒さん、桃枝さん、大森立嗣さん、大森南朋さん。家族全員の生き方をたどると、型にはまらない表現者一家の姿が見えてきます。