俵好夫(たわら・よしお)さんは、希土類磁石の研究で大きな足跡を残した日本の物理学者です。歌人・俵万智さんの父として名前を知った人も多いかもしれませんが、研究者としては、ネオジム磁石が登場する前に世界最強クラスだったサマリウムコバルト磁石の開発で知られる人物です。東北大学も、俵好夫さんをサマリウムコバルト磁石を発明した大学院修了生として紹介しています。
しかも、俵万智さんの代表作『サラダ記念日』には、父親が研究した「かつて世界一強かった磁石」を題材にした短歌があります。科学の世界で磁石を研究した父と、言葉の世界でその父を詠んだ娘。かなり印象的な親子ですよね。
この記事では、俵好夫さんとは何者なのか、磁石研究で何を成し遂げたのかをはじめ、松下電器や信越化学工業での経歴、妻や娘・俵万智さんとの家族関係、出身や学歴、2024年に91歳で亡くなるまでの歩みを詳しく見ていきます。
俵好夫とは何者?世界最強だった磁石や経歴を解説
俵好夫さんについて最も気になるのは、「いったい何をした人なの?」というところではないでしょうか。
まずは、
- 俵好夫さんは何者なのか
- サマリウムコバルト磁石とは何なのか
- なぜ「世界最強の磁石」と言われるのか
- 大学や大学院などの学歴
- 松下電器・信越化学工業での経歴
- 著書や研究者としての実績
といった部分から詳しく見ていきます。
俵好夫は希土類磁石の研究で知られる物理学者
結論からいうと、俵好夫さんはサマリウムコバルト磁石などの希土類磁石研究で知られる物理学者です。
東北大学は2018年度の入学式祝辞で、現在のネオジム磁石が登場する以前に世界最強だったサマリウムコバルト磁石を発明した人物として俵好夫さんを紹介しています。俵さん自身も東北大学大学院の修了生でした。
ただし、サマリウムコバルト磁石の歴史は一人の研究者だけで完成したものではありません。
特に俵好夫さんの大きな功績として知られているのが、2-17系サマリウムコバルト磁石の高性能化につながる研究です。
磁石メーカーのNeoMagが公開している技術史では、1974年、当時松下電器産業にいた俵好夫さんらが、銅を含ませた微細構造によって高い保磁力を実現できる可能性を発表したとされています。その後の研究や工業化につながり、2-17系サマリウムコバルト磁石が実用化されました。
JSTのJ-GLOBALにも、俵好夫さんと大橋健さんによる「2-17系希土類コバルト永久磁石」という研究文献が登録されています。
「俵万智さんのお父さん」というだけでなく、日本の磁石技術史に名前が残っている研究者だったわけです。
サマリウムコバルト磁石はかつて世界最強だった
サマリウムコバルト磁石とは、希土類元素のサマリウムとコバルトなどを組み合わせた強力な永久磁石です。
永久磁石とは、外部から電気を流し続けなくても磁力を保つことのできる磁石のこと。モーターやセンサーをはじめ、さまざまな機器で利用されています。
日本学術会議の資料では、ネオジム磁石が登場する以前、サマリウムコバルト磁石が最強の磁石であり、なかでも俵好夫さんが開発したSm2Co17系磁石が高い性能を記録していたことが紹介されています。
その後、1982年に佐川眞人さんがネオジム磁石を開発し、「世界最強」の座はネオジム磁石へ移りました。東北大学も、本多光太郎さんのKS鋼、俵好夫さんのサマリウムコバルト磁石、佐川眞人さんのネオジム磁石という流れを日本の磁石研究の代表例として紹介しています。
つまり俵好夫さんは、現在の強力な永久磁石へと続く技術の歴史の中で、重要な時代を担った研究者の一人です。
サマリウムコバルト磁石は現在も使われている
「ネオジム磁石に抜かれたなら、サマリウムコバルト磁石はもう使われていないのでは?」と思うかもしれません。
実は、そうではありません。
2-17系サマリウムコバルト磁石は温度特性がよく、腐食やさびにも比較的強いことから、現在も磁気センサーやマイクロスイッチ、光通信などで利用されています。
磁石は単純に「磁力が一番強いものが一番優秀」というわけではなく、使用温度や耐久性、使用環境によって適した素材が変わります。
俵好夫さんたちが研究した磁石技術が、後の磁石に完全に置き換えられたわけではないというのも面白いところですね。
松下電器時代に磁性材料を研究
俵好夫さんは1959年に東北大学大学院理学研究科物理学専攻の修士課程を修了し、同じ年に松下電器へ入社しました。
松下電器では無線研究所に配属され、ソフトフェライトや金属間化合物などの磁性材料の研究開発に携わっています。
つまり、大学院を修了してから一貫して「磁石」「磁性材料」に関わる研究者人生を歩んでいたことになります。
そして松下電器時代の1970年代、2-17系サマリウムコバルト磁石の高性能化につながる研究成果を発表しました。
世界最強クラスの磁石へとつながる研究が、企業の研究所から生まれていたというのも興味深いところです。
信越化学工業でも希土類磁石の開発を推進
俵好夫さんはその後、1976年に信越化学工業へ入社しました。
『希土類永久磁石』の著者紹介によると、信越化学工業では磁性材料研究所所長、コーポレートリサーチセンター所長などを歴任し、希土類磁石の開発を主に推進しています。
若手研究者として実験を続けるだけでなく、研究所全体を率いる立場まで務めたことが分かります。
また、1985年には俵好夫さんと大橋健さんによる2-17系希土類コバルト永久磁石の解説が『日本応用磁気学会誌』に掲載されています。当時の所属は信越化学でした。
松下電器から信越化学工業へ移った後も、研究テーマの軸は変わらず磁性材料だったというわけです。
大学院は東北大学!学歴や理学博士までの道のり
俵好夫さんは東北大学大学院理学研究科物理学専攻の修士課程を1959年に修了しています。書籍の著者プロフィールでも、理学博士であることが確認できます。
一方、娘の俵万智さんが2026年1月20日放送の「徹子の部屋」で明かした父親の学生時代は、かなり印象的です。
俵万智さんによると、父・好夫さんは勉強が大好きだったものの、家庭の経済状況から大学進学に反対されたことがあったそうです。それでも下宿をせず通える大学へ進み、奨学金とアルバイトを利用して大学院へ進学。その後は会社員として働きながら博士論文を書いたと語っています。
俵好夫さんが単に「頭のいい研究者だった」というだけではなく、学ぶことへの強い思いを持っていたことが伝わってきます。
俵万智さんが小学生のころ宿題をしていると、父から「今の子供はいいな」と、思い切り勉強できる環境をうらやむような言葉をかけられたこともあったそうです。
こうした背景を知ると、研究者として長く第一線を歩んだ理由も少し見えてきますよね。
俵好夫の出身地はどこ?
俵好夫さんの出身地については、今回確認した東北大学や出版社、書籍の著者紹介などの信頼できる資料では、出生地を明記した情報を確認できませんでした。
そのため、「仙台市出身」などと断定することはできません。
一方で、学歴については東北大学大学院を修了したことが確認でき、晩年は宮城県仙台市で過ごしています。
「出身」という言葉から出身大学を知りたい場合は、東北大学大学院修了という情報がはっきり確認できますが、生まれた土地については公開情報が限られています。
著書『希土類永久磁石』も出版
俵好夫さんは1999年、大橋健さんとの共著で『希土類永久磁石』を森北出版から刊行しました。
同書は、希土類磁石の基礎から材料ごとの特性、製造方法、磁気回路設計、応用までを扱った技術書です。192ページにわたり、俵好夫さんが長年研究してきた分野を体系的に解説しています。
さらに『希土類永久磁石』は、平成19年度の日本磁気学会出版賞を受賞しました。
研究成果を残すだけでなく、磁石技術を後の研究者や技術者へ伝える仕事にも携わっていたことが分かります。
俵好夫のプロフィール
俵好夫さんについて確認できる主なプロフィールをまとめました。
| 項目 | 内容 | 補足 |
|---|---|---|
| 名前 | 俵好夫 | 読み方は「たわら よしお」 |
| 職業 | 物理学者・研究者 | 希土類磁石・磁性材料を研究 |
| 専門 | 磁性材料 | サマリウムコバルト磁石など |
| 大学院 | 東北大学大学院 | 理学研究科物理学専攻修士課程 |
| 学位 | 理学博士 | 会社員時代にも研究を継続 |
| 主な勤務先 | 松下電器 | 1959年入社 |
| 主な勤務先 | 信越化学工業 | 1976年入社 |
| 主な役職 | 磁性材料研究所所長など | CRC所長も歴任 |
| 主な著書 | 『希土類永久磁石』 | 大橋健さんとの共著 |
| 主な受賞 | 日本磁気学会出版賞 | 平成19年度 |
| 妻 | 智子さん | 訃報で喪主として報道 |
| 長女 | 俵万智さん | 歌人 |
| 死去 | 2024年 | 91歳 |
こうして見ると、俵好夫さんは人生のかなり長い期間を磁石研究に注いだ人物だったことが分かります。
俵好夫の妻や娘・俵万智との関係!死去や晩年まで
研究者としての俵好夫さんを知ると、今度は家族との関係も気になってきます。
特に、
- 妻はどんな人なのか
- 娘の俵万智さんとの関係
- 『サラダ記念日』と父の磁石
- 父親としてどんな人物だったのか
- いつ亡くなったのか
- 晩年はどう過ごしていたのか
という部分を詳しく見ていきましょう。
俵好夫の妻は智子さん
俵好夫さんの妻は、智子(のりこ)さんです。
2024年の訃報では、俵好夫さんの葬儀は親族で営まれ、喪主を妻の智子さんが務めたと報じられています。また、長女が歌人の俵万智さんであることも伝えられました。
妻の智子さんは著名人として活動している人物ではないため、詳しい職業や経歴などは広く公表されていません。
ただし2026年1月の「徹子の部屋」で、俵万智さんは母親が米寿を迎え、近くに住んでいることを明かしています。病院への付き添いなどをしながら、日常を共にしているそうです。
夫・好夫さんが亡くなった後も、母娘の生活は続いていることが分かります。
娘は『サラダ記念日』で知られる俵万智
俵好夫さんの長女は、歌人の俵万智さんです。
俵万智さんは1987年に刊行した第一歌集『サラダ記念日』で広く知られるようになりました。
父は磁石を研究する物理学者、娘は短歌を詠む歌人。
かなり違う世界で活躍した親子ですが、俵万智さんの話からは、父娘の関係が非常に深かったことがうかがえます。
2026年の「徹子の部屋」で俵万智さんは、父親が自分以上に自分の短歌を覚えているほど作品をよく読んでくれていたと振り返っています。歌人として活動する娘のことを、とても喜んでいたそうです。
世界最強クラスの磁石を研究していた物理学者が、家では娘の短歌を口ずさんでいたというのは、かなり印象が変わるエピソードですよね。
『サラダ記念日』には父の磁石を題材にした短歌も
俵好夫さんと俵万智さんの関係を象徴しているのが、『サラダ記念日』に収録された父親の磁石を題材にした短歌です。
東北大学も入学式祝辞の中でこの作品に触れ、俵万智さんが「かつて世界一強かった父の磁石」を作品として残していることを紹介しています。
磁石そのものは後にネオジム磁石へ「世界最強」の座を譲りました。
しかし、その父親の仕事を娘が短歌として残したことで、俵好夫さんの磁石は科学技術史だけでなく文学の世界にも登場することになりました。
物理学と短歌という、一見まったく違う世界が親子を通じてつながっているのが面白いところです。
小学校へ父の磁石を持って行ったことも
俵万智さんには、父親の磁石にまつわる子ども時代の思い出もあります。
小学校の理科の授業で「家にある磁石を持ってくる」ことになった際、俵万智さんは父親の磁石を借りて学校へ持って行ったそうです。
ところが、それは普通の家庭用磁石ではありません。
当時、世界最強クラスの磁石を研究していた父親から借りたものだったため、いろいろなものが強烈にくっつき、教室で大変なことになったと2026年の「徹子の部屋」で振り返っています。
「家から磁石を持ってきて」と言われて、世界最強クラスの磁石が出てくる家庭はなかなかありません。
父親の職業が、娘の日常にも入り込んでいたことが分かる楽しいエピソードですね。
俵好夫は囲碁や将棋も好きだった
俵好夫さんは研究だけをしていた人物ではなく、囲碁や将棋もかなり好きだったそうです。
俵万智さんによると、晩年の父親は囲碁や将棋に関する本を多く持っていました。父が寝たきりになったころ、母親がその本を整理して処分したことで、俵万智さんと母親がけんかになったこともあったといいます。
その際、俵万智さんの息子から「祖母も祖父に関わることをしたかったのでは」という趣旨の言葉をかけられ、母親の気持ちに気づいたというエピソードも明かされています。
研究者としてのプロフィールだけでは分からない、俵家の日常が垣間見える話です。
俵好夫は2024年に91歳で死去
俵好夫さんは2024年に91歳で亡くなりました。2024年2月の訃報では、91歳で死去し、葬儀は親族で営まれたことが報じられています。
2026年の「徹子の部屋」で俵万智さんは、父親が亡くなった日のことも詳しく語りました。
その日の朝、父親の意識はほとんどない状態だったものの、俵万智さんには東京で大切な仕事が予定されていました。そばに残るか仕事へ行くか迷った末、緩和ケアの医師に背中を押されて東京へ向かいます。
そして仕事を終え、地下鉄の階段を上ったところで、父親が亡くなったという電話を受けたそうです。
俵万智さんは、娘の歌人としての活動をずっと応援していた父だっただけに、仕事へ行ったことについても父は受け入れてくれたのではないかという思いを語っています。
父の死後に連作「白き父」を発表
俵好夫さんの死後、俵万智さんは父親を追悼する連作短歌「白き父」を発表しました。
「父の死を短歌にしてよいのか」という迷いもあったそうですが、自分の短歌を誰よりも好きだった父なら、歌を詠むことを望むのではないかと思い、父を見送る歌を作ることができたと語っています。
『サラダ記念日』の時代には、世界最強だった父の磁石を詠み、父の死後にはその父を見送る短歌を詠む。
俵万智さんの作品の中には、長い年月にわたって父・俵好夫さんの存在が刻まれていることが分かります。
俵好夫に関するまとめ
- 俵好夫さんは希土類磁石の研究で知られる日本の物理学者
- 東北大学はサマリウムコバルト磁石を発明した大学院修了生として紹介している
- 特に2-17系サマリウムコバルト磁石の高性能化につながる研究で知られる
- サマリウムコバルト磁石はネオジム磁石登場以前に世界最強クラスだった
- 東北大学大学院理学研究科物理学専攻の修士課程を修了している
- 松下電器で磁性材料の研究開発に携わった
- 1976年に信越化学工業へ入り、磁性材料研究所所長などを歴任した
- 大橋健さんとの共著『希土類永久磁石』は日本磁気学会出版賞を受賞した
- 妻は智子さんで、長女は歌人の俵万智さん
- 『サラダ記念日』には父の磁石を題材にした短歌が収録されている
- 俵万智さんによると、娘の短歌を本人以上に覚えているほど歌人としての活動を応援していた
- 2024年に91歳で亡くなり、その後、俵万智さんは父を追悼する連作「白き父」を発表した
俵好夫さんは、「俵万智さんの父親」というだけではなく、日本の磁石研究の歴史に大きな足跡を残した物理学者でした。サマリウムコバルト磁石からネオジム磁石へと「世界最強」の座が移っても、その研究は磁石技術の発展を語るうえで欠かせない存在として紹介されています。
一方で、家では娘の短歌をよく覚え、歌人としての活動を喜んでいた父親でもありました。科学の世界に残した磁石と、娘の作品に残された父の姿。その両方を知ると、俵好夫さんという人物がより印象深く見えてきます。