世界各地を巡り、珍しい植物を探して届ける「現代のプラントハンター」として知られる西畠清順さん。そら植物園の代表を務め、植物の輸出入からランドスケープデザイン、イベント演出、企業や自治体へのコンサルティングまで幅広く手掛けています。
そんな西畠清順さんについて気になるのが、「父親も植物関係の仕事をしているの?」「実家はどんな家業なの?」「父親とは不仲なの?」という部分です。調べてみると、父親は植物業界で広く知られる西畠勲造さんで、親子そろってかなり個性的な植物のプロであることが分かりました。
この記事では、西畠清順さんの父親である西畠勲造さんの経歴や人物像、家業「花宇」の歴史、清順さんを海外へ送り出したエピソードを紹介します。さらに、親子の不仲説が広まった理由や、それぞれが別の会社で活動している現在まで詳しく見ていきます。
西畠清順の父親は西畠勲造|花宇宙4代目の経歴や人物像
西畠清順さんの父親について、特に気になるポイントは次のとおりです。
- 父親の名前や職業
- 花宇・花宇宙との関係
- 珍奇植物のパイオニアと呼ばれる理由
- 清順さんを海外へ送り出した経緯
- 息子が植物の仕事を始めたきっかけ
- 親子の仕事や感性の共通点
まずは、父親がどのような人物なのか詳しく見ていきましょう。
西畠清順の父親は西畠勲造!花宇の4代目
結論からいうと、西畠清順さんの父親は、植物卸問屋「花宇」の4代目にあたる西畠勲造さんです。
西畠勲造さんは、現在「花宇宙」と呼ばれる植物卸会社で活動しており、一般的な園芸店ではなかなか見られない珍しい植物を数多く扱っています。BRUTUSの紹介記事でも「株式会社花宇宙(前・花宇)代表」として登場しました。
父親の基本的なプロフィールをまとめると、次のようになります。
| 項目 | 内容 | 補足 |
|---|---|---|
| 名前 | 西畠勲造 | 読み方は「にしはた・くんぞう」 |
| 職業 | 植物の生産・卸売 | 珍しい観葉植物や花材などを扱う |
| 肩書 | 花宇宙代表 | 旧社名・屋号は「花宇」 |
| 家業 | 花と植木の卸問屋 | 明治初期から続く老舗 |
| 代数 | 4代目 | 清順さんは5代目として家業に入った |
| 得意分野 | 珍奇植物・観葉植物 | ビザールプランツの先駆者として知られる |
| 活動拠点 | 兵庫県川西市 | 花宇宙の温室や販売イベントを運営 |
| SNS | Instagramなど | 珍しい植物を積極的に紹介 |
西畠勲造さんの詳しい生年月日や年齢は、主要なプロフィール記事では公表されていません。一方で、植物業界に長く携わり、若い頃から生け花の材料や観葉植物を学んできたことは、本人の言葉として紹介されています。
息子の清順さんだけでなく、父親も十分すぎるほどキャラクターの濃い人物です。親子で注目されるのも分かりますよね。
父親の西畠勲造は珍奇植物のパイオニア
西畠勲造さんは、ビザールプランツと呼ばれる珍奇植物を、早い段階から日本へ紹介してきた人物として知られています。
ビザールプランツとは、変わった形の葉や幹、独特な生態を持つ珍しい植物の総称です。塊根植物、コウモリラン、ティランジア、サンセベリア、アロイドなど、一般的な花屋ではあまり見かけない種類も含まれます。
西畠勲造さんは、明治初期から続く花宇の4代目として、生け花用の花材や観葉植物を扱ううちに、次第に珍しい植物を追い求めるようになりました。珍奇植物をいち早く日本へ導入したパイオニア的な存在として、専門メディアでも紹介されています。
本人のInstagramには、巨大な観葉植物や不思議な姿をした植物が数多く登場します。プロフィールにも「常に変わった植物を追い求めて」と書かれており、植物への強烈な好奇心が伝わってきます。
ただ珍しい植物を仕入れるだけでなく、自分で育て、増やし、名前を付け、独特な言葉で紹介するのが勲造さんのスタイルです。「なんじゃこりゃ〜」という親しみやすいフレーズも知られており、専門家でありながら堅苦しく見えないところも魅力なのでしょう。
世界中の珍しい植物へ飛び込んでいく清順さんの行動力を見ると、父親から受け継いだ部分はかなり大きそうです。
父親がオーストラリア留学を勧めていた
西畠清順さんが世界を飛び回るようになった背景には、父親の勲造さんによる、かなり思い切った助言がありました。
清順さんは高校卒業後の1999年、オーストラリアにあるニューサウスウェールズ大学付属の語学学校へ留学しています。公式サイトの経歴では、その後、キャンピングカーでオーストラリア大陸を旅し、ニュージーランドやタヒチ、東南アジア各国を放浪したと紹介されています。
本人はインタビューで、父親から「とにかく海外で遊んでこい」と言われたため、オーストラリアへ留学したと明かしています。当時は植物にほとんど興味がなく、野球や格闘技、サーフィン、音楽などを楽しむ毎日だったそうです。
花と植木の卸問屋を営む父親なら、「早く家業を手伝え」と言いそうなものですよね。ところが勲造さんは、息子をすぐに仕事へ縛り付けるのではなく、まず海外へ送り出しました。
この経験がなければ、清順さんが後に世界中を旅するプラントハンターになることもなかったかもしれません。親子の人生を考えるうえで、かなり印象的なエピソードです。
キナバル山の食虫植物を探すよう父親が頼んだ
西畠清順さんが植物に目覚める直接的なきっかけを作ったのも、父親の勲造さんでした。
オーストラリア留学後にアジアを旅していた清順さんは、マレーシア・ボルネオ島にあるキナバル山へ向かいます。その際、日本にいた父親から、山奥に生える「ネペンセス・ラジャを探してこい」と頼まれました。
ネペンセス・ラジャは、巨大な捕虫袋を持つことで知られる食虫植物です。当時の清順さんは植物そのものよりも、「秘境へ行く」という響きに面白さを感じて山へ入ったと語っています。
長い登山の末、清順さんは雲の上で目的の食虫植物を発見しました。その姿を目の前にした瞬間、「植物は自分が考えていたよりもすごいのではないか」と衝撃を受けたそうです。帰国後は花宇に入り、本格的に植物の仕事を始めました。
つまり、父親が何気なく頼んだ植物探しが、清順さんの人生を大きく変えたことになります。世界的に活動するプラントハンター誕生の裏に、父親からの一言があったというのは、かなりドラマチックな話ですよね。
実家は明治初期から続く植物卸問屋「花宇」
西畠清順さんの実家は、花と植木を扱う卸問屋「花宇」です。
花宇は、兵庫県川西市を拠点に長く植物を扱ってきた家業で、清順さんの紹介では明治元年にあたる1868年から続くとされています。父親の勲造さんが4代目、清順さんが5代目にあたります。
通常の花屋とは異なり、花宇の主な顧客は、生け花の家元やフラワーアーティスト、庭師、造園業者など、植物を見る目の厳しいプロたちでした。
清順さんは、花宇について、歴史を背負う生け花の家元や世界的なガーデナーを相手にする卸問屋だったと説明しています。相手が納得する植物を届けるには、顧客以上の知識や目利きが必要であり、その厳しい環境で鍛えられたそうです。
幼い頃から清順さんは、「花宇を続けるためには日本一にならなければならない」と言われて育ったとも語っています。跡を継ぐと決めた際には、「それなら世界一の植物を扱おう」と考えたそうです。
父親が守ってきた家業の重みが、清順さんを世界へ向かわせる原動力にもなったのでしょう。
西畠清順と父親の関係|不仲説や花宇を離れた経緯・現在
西畠清順さんと父親の関係については、次のような点が注目されています。
- 清順さんが花宇の5代目になった経緯
- 花宇を離れてそら植物園を設立した流れ
- 父親との経営方針の違い
- 不仲説や解任説の真相
- 現在の花宇宙とそら植物園の関係
- それぞれが続けている植物の仕事
ここからは、親子関係をめぐる噂の背景を一つずつ見ていきます。
西畠清順は花宇の5代目代表に就任していた
西畠清順さんは、2002年ごろから本格的に家業へ入り、国内外を回りながら植物の調達や生産、輸出入の経験を積みました。
テレビ東京の『カンブリア宮殿』では、2010年に実家の卸問屋「花宇」の取締役へ就任し、2015年には5代目として代表取締役に就任したと紹介されています。
一方で清順さんは、家業で働きながら、2012年に「ひとの心に植物を植える」を掲げる活動「そら植物園」をスタートしました。植物の卸売だけにとどまらず、都市緑化、空間演出、イベント、アートプロジェクトなどへ仕事を広げていきます。
2015年にはそら植物園を法人化。花宇の5代目と、そら植物園の代表という二つの立場を持ちながら活動していた時期があったことになります。
父親が築いてきた家業を継ぎつつ、自分の新しい活動も大きくしていったわけですから、経営の方向性が複雑になっていったとしても不思議ではありません。
父親との不仲説が出た理由は?
西畠清順さんと父親に不仲説が出た大きな理由は、清順さんが花宇を離れ、そら植物園として独立したことにあります。
一部の人物紹介記事では、清順さんが父親と経営方針をめぐって対立し、花宇の取締役を離れたと伝えられています。また、代表就任から短期間で家業を離れたため、「父親に解任されたのではないか」という話も広がりました。
ただし、父親の勲造さんと清順さんが、当時の親子関係や経営上のやり取りをそろって詳しく説明した一次資料は多くありません。そのため、会社運営をめぐる意見の違いがあった可能性と、私生活でも完全に不仲だったかどうかは分けて考える必要があります。
清順さん本人のInstagramには、花宇の社員たちと会社を離れ、大阪府池田市で新たな会社と農場を立ち上げたことを伝える投稿が残っています。現在の公式経歴でも、花宇ではなく、そら植物園やoffice N seijunでの活動が中心です。
確実に分かっているのは、親子が同じ会社を運営し続ける形ではなく、それぞれ別の組織で植物の仕事を続ける道を選んだということです。
花宇は現在「花宇宙」として父親が活動
清順さんが花宇を離れた後、父親の西畠勲造さんは「花宇宙」の名前で植物事業を続けています。
BRUTUSでは「株式会社花宇宙(前・花宇)代表」と紹介されており、珍奇植物の生産や卸販売を行っていることが分かります。兵庫県川西市の拠点では、普段は卸売を中心にしながら、一般客向けの展示販売イベント「Dream Garden」も開催されています。
勲造さんのInstagramには、巨大な植物や斑入り植物、希少な観葉植物などが頻繁に登場しています。ユーモアを交えた解説も人気で、植物好きの間では現在も存在感のある人物です。
清順さんが都市開発やランドスケープ、企業プロジェクトへ活動を広げているのに対し、勲造さんは珍奇植物そのものの魅力を前面に出している印象があります。
同じ植物の世界にいながら、父と息子で見せ方や事業の方向性が異なるところも興味深いですね。
西畠清順は「そら植物園」とoffice N seijunで活動
西畠清順さんは、現在もそら植物園の代表として、植物の輸出入、ランドスケープデザイン、緑化、森づくり、イベント演出などを幅広く手掛けています。
さらに、植物や自然、環境分野の企画・コンサルティングを行う「office N seijun」も主宰しています。公式プロフィールによると、植物の国際取引だけでなく、企業のアドバイザリー、地方創生、施設開発、商品開発、映像制作などへ活動を広げています。
2026年にもテレビ出演、植物プロジェクト、公式YouTubeチャンネルの開設、海外での植物調査などが公式サイトで発表されており、プラントハンターとして精力的に活動しています。
また、東京・代官山の「ディオール バンブー パビリオン」では庭園を手掛け、2026年には本人を迎えたワークショップも行われました。家業で身に付けた植物の目利きや技術を土台にしながら、ファッションやアートの領域にまで仕事を広げています。
父親の影響は清順の仕事に色濃く残っている
現在は別々の会社で活動している父と息子ですが、西畠清順さんの仕事に父親の影響が残っていることは間違いありません。
清順さんが世界へ出たきっかけは父親からの勧めでした。さらに、キナバル山で食虫植物を探すよう依頼したのも父親であり、その体験をきっかけに清順さんは植物の世界へ入っています。
珍しい植物を見つけたときに心から興奮すること、一般的な流通に乗らない植物へ目を向けること、植物を面白く伝えようとすることも親子に共通しています。
父親の勲造さんは「珍奇植物そのものの面白さ」を掘り下げ、息子の清順さんは、その植物を空間やイベント、街づくりに生かしてきました。
方向性は違っても、二人とも普通の植物だけでは満足できないタイプなのでしょう。こうした背景を知ると、西畠清順さんがなぜ「現代のプラントハンター」と呼ばれるまでになったのか、より分かりやすくなります。
西畠清順のプロフィールや経歴
最後に、西畠清順さんの基本的なプロフィールを紹介します。
| 項目 | 内容 | 補足 |
|---|---|---|
| 名前 | 西畠清順 | にしはた・せいじゅん |
| 生年 | 1980年 | 兵庫県生まれ |
| 出身地 | 兵庫県川西市 | 植物卸問屋の家に育つ |
| 出身校 | 兵庫県立川西明峰高等学校 | 野球部に所属 |
| 海外経験 | オーストラリア留学 | その後、各国を放浪 |
| 家業入り | 2002年ごろ | 花宇で植物の仕事を始める |
| 職業 | プラントハンター・実業家 | 植物の収集、輸出入、空間演出など |
| 所属 | そら植物園 | 代表取締役 |
| 主宰 | office N seijun | 植物・環境分野の企画会社 |
| 父親 | 西畠勲造 | 花宇4代目・花宇宙代表 |
公式経歴では、1999年にオーストラリアへ留学し、2001年にキナバル山で食虫植物と出会い、2002年から家業へ入ったと紹介されています。その後は、桜の開花プロジェクトや都市緑化、海外政府からの依頼など、植物を使った数多くの企画を手掛けてきました。
父親のもとで始まった植物の仕事が、世界各地を舞台にした独自の事業へ成長したことになります。
西畠清順の父親に関するまとめ
- 西畠清順さんの父親は西畠勲造さん
- 西畠勲造さんは、花と植木の卸問屋「花宇」の4代目
- 現在は「花宇宙」の代表として珍しい植物を扱っている
- ビザールプランツを日本へ早くから紹介したパイオニアとして知られる
- 父親が清順さんにオーストラリア留学を勧めた
- キナバル山の食虫植物を探すよう依頼したのも父親だった
- 清順さんは食虫植物との出会いをきっかけに家業へ入った
- 清順さんは2015年に花宇の5代目代表へ就任していた
- 後に花宇を離れ、そら植物園を中心に独自の活動を始めた
- 経営方針の違いや解任を伝える記事から、父親との不仲説が広まった
- 親子関係の詳しい事情は公表されていないが、現在は別々の会社で活動している
- 父と息子はともに、珍しい植物への強い好奇心と独自の発信力を持っている
西畠清順さんが世界へ飛び出すきっかけを作り、植物の面白さへ導いたのは父親の西畠勲造さんでした。現在は異なる道を歩んでいるものの、珍しい植物に魅了され、その魅力を人へ届ける姿には、やはり親子ならではの共通点が感じられます。