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山田五郎の原発不明がんとは?2024年の公表から死去までの経緯を確認

評論家や編集者、タレントとして幅広く活動した山田五郎さんが、2026年7月14日に亡くなりました。67歳でした。

山田五郎さんは2024年、「原発不明がん」であることを自身のYouTubeチャンネルで公表しています。

当時は、がんが肝臓やリンパ節、骨などに広がっており、「ステージ4B」と説明していました。その後も抗がん剤治療を続けながら、『出没!アド街ック天国』などへの出演やYouTubeでの発信を続けていました。

山田五郎さんが公表していた原発不明がんとは、どのような病気なのでしょうか。

2024年の診断と公表、抗がん剤治療を続けた闘病生活、死去が伝えられるまでの経緯を見ていきます。

山田五郎が原発不明がんを公表してから死去するまで

山田五郎さんの死去は、2026年7月22日に公式YouTubeチャンネル「山田五郎 オトナの教養講座」で発表されました。

所属事務所の発表によると、亡くなったのは同年7月14日の夕方です。2024年に原発不明がんを公表してから、約2年間にわたって治療と仕事を続けていました。

山田五郎は2026年7月14日に67歳で死去

公式YouTubeに登場した担当マネージャーは、山田五郎さんが2026年7月14日の夕方に亡くなったと報告しました。

葬儀は7月19日に行われ、親族や友人、仕事関係者が見送ったことも明かされています。公式発表の時点で葬儀はすでに済んでいました。

山田五郎さんの死去を伝える報道では、2024年から原発不明がんで闘病していたことが紹介されています。

ただ、所属事務所の発表で、死因として別の病名や直接的な原因が詳しく示されたわけではありません。現時点で伝えられているのは、原発不明がんの治療を続けていた山田五郎さんが、7月14日に亡くなったという内容です。

原発不明がんと診断されたのは2024年7月

担当マネージャーの説明によると、山田五郎さんががんと診断されたのは2024年7月でした。

その後、検査や抗がん剤治療を受けながら仕事を続け、2024年10月4日に自ら病気を公表しています。

公表動画では、以前から続いていた腰の痛みについて「ぎっくり腰ではなく、がんだった」と説明しました。

人間ドックを受けたところ肝臓に異常が見つかり、さらに詳しく調べると、リンパ節や骨などにもがんが広がっていることが分かったと話しています。

2024年10月にステージ4Bと公表

山田五郎さんは、2024年10月4日に公開した動画の中で、がんが骨などにも転移していることを明かし、「ステージ4B」と説明しました。

肝臓にがんが見つかったものの、肝臓から発生したがんではなく、別の場所から転移してきたと医師から説明されたといいます。

しかし、詳しい検査を受けても最初にがんが発生した臓器を特定できず、「原発不明がん」という診断が付いたと語っていました。

公表した時点ですでに手術は難しく、抗がん剤による化学療法を受けていました。

山田五郎さんは副作用と向き合いながらも、当時続けていた仕事は今後も行う意向を示し、「がんと共に生きる」と話しています。

山田五郎の原発不明がんとはどのような病気?

原発不明がんは、転移したがんが見つかっているにもかかわらず、最初にがんが発生した臓器を特定できない病気です。

単に検査が終わっていない状態を指すのではなく、画像診断や病理診断などを行っても原発巣が分からない場合に診断されます。

原発とは最初にがんが発生した場所

がんは通常、胃や肺、肝臓、大腸など、最初に発生した臓器をもとに病名が付けられます。

例えば、肺に発生したがんが骨へ広がった場合は、骨にがんが見つかっていても「肺がんの骨転移」と呼ばれます。

この最初に発生した場所が「原発巣」です。

国立がん研究センターのがん情報サービスによると、原発不明がんは、転移したリンパ節や臓器が見つかっている一方で、十分な検査を行っても原発巣が分からないがんを指します。

原発不明がんは肝臓がんとは限らない

山田五郎さんの場合、最初に大きな異常が見つかったのは肝臓でした。

そのため、肝臓がんだったのではないかと感じる人もいるかもしれません。

しかし、山田五郎さん自身は、医師から肝臓が原発ではなく、ほかの場所から転移したがんだと説明されたことを明かしています。

検査を重ねても元の場所が分からなかったため、原発不明がんと診断されました。肝臓にがんがあることと、肝臓からがんが発生したことは同じではありません。

原発不明がんでは骨や肝臓などに転移が見つかることがある

国立がん研究センターによると、原発不明がんが見つかりやすい場所には、リンパ節、胸膜、腹膜、肺、肝臓、骨などがあります。症状は、がんが転移した場所によって異なります。

骨に転移した場合は痛みが出たり、骨が弱くなって骨折したりすることがあります。

山田五郎さんも、腰の痛みをきっかけに検査を受け、がんが骨などに転移していることが判明しました。治療経過を伝えた際には、脊椎への転移による圧迫骨折についても明かしていました。

山田五郎が公表したステージ4Bとは?

山田五郎さんは、2024年10月の動画で、自身の病状について「ステージ4B」と話していました。

がんが肝臓だけではなく、リンパ節や骨など複数の場所に広がっていたことも説明しています。

ステージ4Bは山田五郎本人が使った表現

「ステージ4B」という言葉は、山田五郎さん本人が公表動画の中で使用したものです。

ただし、ステージの分類方法は、がんが最初に発生した臓器や種類によって異なります。

米国国立がん研究所は、原発不明がんには全患者に共通する標準的なステージ分類がないと説明しています。原発不明がんは、発見された時点ですでに別の部位へ広がっていることが前提となるためです。

そのため、山田五郎さんの「ステージ4B」という説明は、本人が医療機関から受けた説明に基づく病状の表現として報じられています。

がんは肝臓・リンパ節・骨に広がっていた

山田五郎さんは、MRI検査を受けた際に肝臓の異常が判明し、その後、リンパ節や骨にもがんが広がっていることが分かったと説明しました。

すでに複数の場所に転移していたため、手術でがんを取り除く治療は難しく、抗がん剤を使った化学療法を受けることになったといいます。

山田五郎さんが公表した内容から分かるのは、原発巣を特定できないまま、複数の臓器や骨にがんが広がっていたということです。

原発となった臓器については、最後まで公表されていません。

山田五郎は抗がん剤治療を続けながら活動

山田五郎さんは、原発不明がんを公表した後も、抗がん剤治療を受けながらテレビやラジオ、YouTube、執筆などの活動を続けました。

病気を公表した動画でも、体調を見ながら仕事を継続する考えを示していました。

抗がん剤治療で一時は肝臓の病変が縮小

2024年10月に治療経過を報告した際には、炎症を示す数値が下がり、肝臓にあった病変が約30%小さくなったと明かしています。

抗がん剤の効果が表れている一方で、副作用や骨への転移に伴う痛みとも向き合っていました。

原発不明がんは、患者ごとにがんの組織型や転移している場所、体調などが異なります。

国立がん研究センター希少がんセンターも、原発不明がんにはさまざまな病態が含まれ、一人ひとり病気の状態が異なると説明しています。

2025年も治療を受けながら仕事を継続

2025年にも抗がん剤治療を続けながら、山田五郎さんは仕事を続けていました。

同年10月には「山田五郎 オトナの教養講座」が評価され、第17回伊丹十三賞を受賞しています。

贈呈式にも出席し、抗がん剤治療を受けていることを話しながら、食事が取れていることや、受賞を喜ぶ言葉を伝えていました。

治療中も美術や歴史に関する発信を続け、評論家としての知識と編集者としての構成力を生かした動画を届けていました。

2026年3月に一時昏睡状態になったと公表

山田五郎さんは2026年7月17日に公開されたYouTube動画で、同年3月に一時昏睡状態になったことを明かしました。

その後は歩くことが難しくなり、車いすを使用していたといいます。

さらに、腹水や胸水がたまって呼吸が苦しくなり、酸素吸入を受けていることや、固形物を食べられなくなったことも話していました。動画では鼻に酸素チューブを付けた姿で近況を伝えています。

この動画が公開されたのは、山田五郎さんが亡くなった7月14日より後の7月17日です。

事前に収録されていた映像が、死去の発表前に公開された形となります。

山田五郎は死去直前まで「アド街」やYouTubeで活動

山田五郎さんは闘病中も、長年出演してきたテレビ番組やラジオへの出演を続けていました。

亡くなる直前まで収録や執筆に取り組み、新しい美術書も発表しています。

「出没!アド街ック天国」に長年出演

山田五郎さんは、テレビ東京系『出没!アド街ック天国』のレギュラー出演者として広く知られていました。

番組では、街の歴史や文化、建築などについて豊富な知識を披露し、落ち着いた語り口とユーモアのある解説で親しまれてきました。

1998年から番組に出演し、そのほかにも『タモリ倶楽部』や『ぶらぶら美術・博物館』など、知識を生かした数多くの番組で活躍しています。

2026年7月18日放送の『出没!アド街ック天国』にも出演していました。この放送は亡くなった後のもので、事前に収録されていた出演回とみられます。

「山田五郎 オトナの教養講座」で病状を伝えていた

山田五郎さんは2021年から、公式YouTubeチャンネル「山田五郎 オトナの教養講座」を運営していました。

西洋美術や歴史を親しみやすく紹介する内容で、病気を公表する場所にも同チャンネルを選んでいます。

原発不明がんの公表後も、治療状況や体調を自らの言葉で伝えながら、美術の講義動画を公開していました。

所属事務所による死去の発表も、このチャンネルを通じて行われています。

最後の講義「メメント・モリ」も収録

所属事務所によると、山田五郎さんが生前に収録した講義動画が1本残されています。

テーマは「メメント・モリ」です。

山田五郎さんは自身の死期を感じながらも、視聴者に最後に伝えたいことがあるとして、講義を収録したと説明されています。動画は公式YouTubeチャンネルで公開される予定です。

「メメント・モリ」は、ラテン語で「死を忘れるな」という意味を持つ言葉として知られています。

西洋美術を長年伝えてきた山田五郎さんが、最後の講義にこの題材を選んだことからも、視聴者へどのような言葉を残したのか注目されています。

山田五郎は評論家・編集者・タレントとして活躍

山田五郎さんは、テレビで活躍するタレントというだけではなく、雑誌編集者や評論家、コラムニスト、YouTuberなど複数の分野で活動していました。

幅広い知識を、一般の人にも親しみやすく伝える力が大きな魅力でした。

講談社で「ホットドッグ・プレス」編集長を務めた

山田五郎さんは上智大学を卒業後、1982年に講談社へ入社しました。

若者向け情報誌『ホットドッグ・プレス』の編集長を務めたほか、『TOKYO1週間』の創刊にも副編集長として参加しています。

2004年に独立してからは、評論や執筆、テレビ、ラジオなどへ活動の場を広げました。

美術、時計、街、ファッション、食文化などを横断する知識は、長年の編集者経験にも支えられていたといえそうです。

「アド街」や「タモリ倶楽部」で博識ぶりを披露

山田五郎さんは1991年、『タモリ倶楽部』に「お尻評論家」として出演したことをきっかけに、テレビでも知られるようになりました。

その後、『タモリのボキャブラ天国』『出没!アド街ック天国』『ぶらぶら美術・博物館』などに出演しています。

専門的な内容を堅苦しくせず、ユーモアを交えて説明する姿は、多くの番組やYouTubeにも引き継がれました。

まとめ

山田五郎さんは2024年7月にがんと診断され、同年10月4日にステージ4Bの原発不明がんであることを公表しました。

原発不明がんとは、転移したがんが見つかっているにもかかわらず、十分な検査を行っても最初にがんが発生した臓器を特定できない病気です。

山田五郎さんの場合は、肝臓に大きな異常が見つかり、リンパ節や骨などにもがんが広がっていました。ただ、肝臓が原発ではなく、検査を続けても元の臓器は分からなかったと説明しています。

その後は抗がん剤治療を続けながら、評論家、編集者、タレントとしてテレビやラジオに出演し、「山田五郎 オトナの教養講座」でも発信を続けました。

2026年7月14日に67歳で亡くなり、7月22日に公式YouTubeで死去が発表されています。

『アド街』をはじめとするテレビ番組や、美術を分かりやすく伝えた動画など、山田五郎さんが残した仕事は、これからも多くの人に親しまれていくことでしょう。

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